流星群の夜には。

大学院生のもやもやモラトリアムの中で、考えたことをつづります。

『君の名は。』を観たこと。

ずっと観に行きたかった『君の名は。』を先日観てきた。

 

新海誠ファン」を称するには、あまりにもひよっこな私だが、

秒速5センチメートル』『言の葉の庭』は複数回観ていて、

新海作品の絵の素晴らしさ、音楽の選びかた、胸が締め付けられるような切ないストリーに惹かれていった一人だ。

 

ネタバレ大っ嫌い人間なので、私も人様にネタバレしないように気をつけよう…とすればするほど、ストーリーを解釈するような深いことは書けなくなってしまうのだけれど。ばらばらと雑感だけ。

 

とにかく、観ていて泣いてしまう作品だった。

これまでも、映画を観て泣いたことは何回かあるけれど、それとは、まったく違った涙を経験した。

 

これまで泣いたのは、何か悲しいシーン(私は「駅での別れ」みたいなベタな別れの描写なんかにやけに弱いのだが)を観ていて、つらい気持ちになって泣いてしまう、という涙。

 

でも、『君の名は。』の涙は、自分でもどこのシーンやセリフに反応したのかわからないけれど、気づいたら溢れてきた涙、という感じだった。

だから、客観的にみれば、「え?今は泣くシーンはないんでは??」みたいなところでも、勝手にほっぺたが濡れていることがあった。これは、今までにない経験で新鮮だった。泣いたあとは大抵、鼻とか真っ赤になって、映画館の電気がついた瞬間って恥ずかしいものだけれど、そういうわけでもなく、さらさらと流れていった涙だった。

 

ストーリー自体はすごく奥深くて、小説を読むなりもう一度映画を観に行くなりして、もっとちゃんと味わいたい!と思うものなのだけれど、一方で、作品全体に流れる爽やかさが印象的で、終わったあとに清涼感みたいなものが残った。

 

個人的には、予告で「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい」と叫んでいる三葉ちゃんに大いに感情移入してしまった。

というか、家族や田舎のしがらみにうんざりし、東京に強い憧れを抱く彼女は、中高時代の私そのものだった。

 

小さくておせっかいで窮屈な田舎にいると、大都会「東京」は自由が手に入る魔法の場所みたいに思えたものだ。

 

とあるネット上の番組で新海監督ご自身が地方のご出身で、家業を継ぐか継がないか、なんて話もあったのだとお話しされていたが、そういった経験をされたからこそ

葛藤を抱える「田舎っ子」の気持ちが描けるのかもしれない。

 

そして、言わずもがな、RADWIMPSの音楽とのコラボレーションが素晴らしかった。

監督とRADとが、妥協を許さず共に作業をしたり、相互作用を起こしながら作品を洗練していったのだろうということが、強く伝わってくるような出来上がりだと思う。

 

今日、知人と話していたら「もう4回も観てしまった」と言っていて、

いいなー私も2回目観に行こうかな―――――と思ってしまった次第です。